2011年8月13日土曜日

たぶん、正しくは、「Twitterの始まり」。

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ここ最近のTwitterでの「炎上」的なものに関して、
「Twitterが悪い」というような意見を見かけますが、
どうも単純にそういう話じゃないような気がしてなりません。

そんな中、このブログ記事を読んで、とてもすっきりしました。

Twitter禍と、Twitterがいつ終わるのかについて - じゃがめブログ


現段階で「Twitterはトラブルを産むから廃れる」というのは、
馬車の時代に「車は事故を起こしたら死ぬ危険性が高いから流行らない」
といってるような感じではないかな

というのは、まさにその通りだと思います。

個人的に、
ここ最近の「炎上」的なもののニュースを見て感じているのは、
「そこまでTwitterが普及し始めたのか」
ということです。

そもそもアーリーアダプターと呼ばれる人たちは、
「ソーシャルメディア・リテラシー」がある程度高く、
Twitterを使う上でのマナーとか注意点とか危険性とかを
正しく理解して使っていますが(大抵は)、
Twitterが一気にキャズムを超えて広まった結果、
「ソーシャルメディア・リテラシー」に乏しいユーザーが
その危険性などをあまり理解しないままに使っている、
というのが実情ではないかと考えます。

先ほどの馬車と車の例に乗っかるならば、
車という「便利」で「楽しい」ものが急激に普及して、
「スピード出し過ぎると死ぬ危険性が高いよ」とか、
「曲がるときはちゃんとウィンカー出してね」とかっていう
最低限のことを理解せずに車に乗る人が増えてしまうと、
そりゃ事故もたくさん起こりますよね、ってことだと思います。

実際、車の場合は、
「運転免許」や「道路交通法」などが、
そういったことを防ぐ役割を果たしてくれていますが、
ソーシャルメディアにおいて、
その辺りの「整備」がまだ追いついていない
というのは事実かもしれません。

ここ最近、
ソーシャルメディアガイドラインの策定を
急いでいる企業も多いようですが、
今後そういった、
「教育」的な部分から「ルール」的な部分までの
なんらかの整備は必要なのかもしれません。

つまり、それっていうのは、
Twitterというサービスやシステム側の問題ではなく、
それを使う側の人間の問題だということです。

言ってはいけないことを言った人が避難されるのは、
現実世界でも同じことです。
ただその発言が記録され拡散しやすくなった。
それ以上でもそれ以下でもありません。

そういった議論無くして、
トラブルの原因をTwitterをはじめとした
ソーシャルメディアのせいにし、
「Twitterはトラブルを産むから廃れる」という結論に至るのは、
やはり、本質から離れているような気がしてなりません。

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